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東京地方裁判所 昭和30年(行)16号 判決

原告 田村英郎

被告 中央労働委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、請求の趣旨

被告が中労委昭和二十九年不再第十六号不当労働行為再審査申立事件について昭和二十九年十二月十七日なした命令中「初審命令中、田村英郎に関する部分を取消し、その救済申立を棄却する」との部分を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求める。

第二、請求の原因

一、原告は駐留軍に対し労務を提供するために期間の定なく国に雇傭されていた駐留軍労務者であつたが、昭和二十八年一月七日解雇の意思表示を受けた。右解雇の意思表示は原告の行つていた活溌な組合活動(原告の組合活動の具体的事実については後述する)を理由とするもので不当労働行為であつたので、原告は東京都知事を相手方とし、右不当労働行為に対する救済を東京都地方労働委員会に対し申立てたところ、同委員会は昭和二十八年都委不第十一号不当労働行為申立事件として審査の結果、昭和二十九年五月二十日「被申立人は申立人田村英郎を昭和二十八年一月七日当時の原職又はこれと同等の職に復帰させると共に同月八日以降原職に復帰するまでの間に同人の受くべかりし諸給与相当額を支払わなければならない。」との命令を発した。相手方は右命令を不服として被告に対し再審査を申立てたところ、被告はこれを中労委昭和二十九年不再第十六号不当労働行為再審査申立事件として再審査し、その結果、昭和二十九年十二月十七日「初審命令中田村英郎に関する部分を取消し、その救済申立を棄却する」との命令を発し、この命令書写は当時原告に送達され、右命令の理由は別紙命令書写記載のとおりである。

二、しかしながら、被告の右命令は以下詳述するとおり事実を誤認して救済申立を棄却したもので違法な行政処分であるのでこれが取消を求める。

(一)  命令理由中の事実誤認

右命令書の理由中第一項第二項及び第三項の事実はこれを認めるが第四項及び第五項(ロ)において原告の解雇は軍が定めた人員整理基準に該当するから原告の解雇を不当労働行為と推認する余地はないとしたのは事実を誤認するものである。

(1) 命令書理由第四項(整理基準)について。

被告が第四項において認定したところの全駐留軍労働組合東京地区本部成増支部(以下支部組合という)と東京都千代田渉外労務管理事務所(以下労管という)との間で行われた昭和二十八年十一月二十八日の労働協議会において労管側が勤務成績の悪いもの、作業能率の低いもの、新しい入職者の三項目整理基準を明らかにした事実はこれを認める。しかし、右は労管側が支部組合に説明した整理基準に過ぎず現実には軍の各職場監督が恣意的な整理基準を設定し、これに基いて解雇を決定したもので、原告の属するカーペンターショップ(建築班)では技術不良なものを被解雇者とすると示された。被告認定の原告の解雇を決定したものはカーペンターショップ(建築班)担当営繕技師M、Dワース(M. D. wirth)であることは争わない。

なお、ワース氏が被解雇者を選定するについて勤続年数のみを唯一の整理基準としていなかつたことは以下の事実から明らかである。即ち、ワース氏はカーペンターショップ(建築班)全体を監督する軍属であるから、カーペンターショップ(建築班)全体について共通の基準で被解雇者を決定した筈である。しかるに、カーペンターショップに属する佐藤清一、竹田久雄(原告と異り屋根専門工ではない)などは原告よりも勤続年数が短いにも拘らず被解雇者に選定されていない。また仮にカーペンターショップ(建築班)中の各班毎に別個に被解雇者を決定したとしても、右佐藤清一の属する班では同人より遙に勤続年数の長い大久保韓三、篠田勝太郎、鈴木権などが整理され、また竹田久雄の属する班でもやはり同人より勤続年数の遙に長い佐藤立躬、佐藤辰雄、杉山義太郎、矢野政次などが解雇されている事実があり、これらの事実からしても勤続年数を基準として被解雇者を選定したとは認められない。

(2) 命令書理由第五項(ロ)(原告の整理基準該当)について。

被告は原告の解雇理由として能率能力が劣ること、非協調的であること、勤続年数が浅いことの三点が挙げられたと認定しているが、かかる事実はない。東京都労働委員会における審問に際し相手方から提出されたジョー・P・エスリンガー(JOE. P. Esslinger)大尉の昭和二十八年七月十一日附書面(乙第二号証の九甲第四号証の九)によれば、原告の解雇理由は熟練度が最低ということだけである。而して同じ屋根専門工計八名の中で特に能力、能率が他と比較して劣るということのなかつたことは被告認定のとおりであり、却つて整理されなかつた他の労務者より優秀であつた。即ち、原告は技術的に優秀で常に作業遂行の陣頭に立つていたし、また、入職以来一度も事故を惹起したことなく、作業上の注意すら受けたことはない。

原告及び同じ屋根専門工で原告と同時に整理解雇された他の一名は共に他の六名の残留者に比して勤続年数が短いことは被告認定のとおりである。

(3) 命令書理由第五項(ロ)において被告は原告が勤続年数が短い故を以つて被解雇者に選定せられてもまた止むを得ないと結論する。しかしながら、原告は他の残留者に比し僅か六ケ月短いに過ぎないから、之を以て絶対的理由となすは失当である。

カーペンターショップ(建築班)の木工中原告より勤続年数が短いにも拘らず、残留している者のあることはさきに(1)に主張したとおりである。そもそも、本件人員整理に際しグランドハイツメンテナンスでは整理すべき総人数を各ショップに割当て、各ショップ毎にそのショップで整理すべき人数が指示され、これに基いて軍側各職場監督者が具体的な被解雇者を選定したのであつて、原告の属したカーペンターショップ(建築班)でも軍側監督者ワース氏は当時の現在員七十三名中から二十三名を整理するようには指示されたが、屋根専門工八名中から二名を整理せよとの指示はなかつたのである。それ故、ワース氏は屋根専門工であるか否かで区別せずカーペンターショップ(建築班)全体から被解雇者を決定した筈であり、それにも拘らず屋根専門工から原告を含む二名が解雇され右の如く他に勤続年数のより短い残留者のあることは了解に苦むところである。

また、同じくさきに(1)主張したように、カーペンターショップ(建築班)中の各班を各班別に考察しても、屋根専門工の班(屋根班)以外の班にあつては必ずしも勤続年数の長短によつて被解雇者の決定がなされていないのに、屋根班においてのみ原告が勤続年数の最低なるを以つて解雇せられる理由はない。

さらに原告の属する屋根専門工間の問題としては、昭和二十五年十一月現在カーペンターショップ(建築班)に勤務していた技能工系統の労務者の基本給与月額調整のため査定したところの技能、勤務成績、経験、勤続年数の評価によると原告の右四項目綜合点数六十三点に対し、原告と同じく屋根専門工である白鳥喜造及び横山釘蔵のそれは各六十二点であつた事実があり、それにも拘らず、右両名は原告の解雇に際し残留者となつている、また被告が整理基準と認定した三項目技能、勤務成績、勤続年数の成績を右査定の評価によつて検しても、原告は右三項目を綜合して五十九点であるのに対し、白鳥、横山は各五十六点であつて右同様原告より低位にあるのである。

(二)  原告の組合活動

原告は昭和二十四年十一月四日から国に雇傭され、東京都成増所在の在日米軍グランドハイツRUメンテナンス営繕部建築班に木工として勤務するに至つたが、間もなく支部組合(当時の全連合軍要員労働組合東京支部成増分会で、後に全国進駐軍労働組合同盟と合同して全駐留軍労働組合東京地区本部成増支部となつた)に加入し、昭和二十五年十一月から昭和二十八年二月まで支部組合執行委員兼文化部長として、うち昭和二十七年十月以降は支部組合副執行委員長して活溌な組合活動を行つた。

(1) 文化活動の指導

原告の職場である営繕部の労務者はグランドハイツを建設した請負会社(PD会社)に雇傭されていた労務者が政府雇傭に切替えられたもので、請負会社当時の飯場組織がそのまま残存しており、職場にはいわゆるボスの支配力が強かつた。かかる職場にあつて組合員の意識を高め、文化的教養を向上させるためには活溌な組合活動と結合して文化活動を行う必要があり原告は各種の組合活動を活溌に行うと共に文化活動を指導した。

(イ) 支部組合文化部に編集部を設け、長く停刊していた機関雑誌「なります」を復刊した。これに刺戟されて、各職場に職場機関誌「なかま」「いちづ」「あゆみ」などが続々刊行されたが、これらはいずれも編集などにつき原告の指導するところが多かつた。

(ロ) 文化部に演劇部を設け、自立劇団を育成した、昭和二十六年一月二十一日希望座として発足した同劇団は同日原告の演出で真船豊作「水泥棒」及び「寒鴨」を板橋労働会館で公演して以来解雇当時たる昭和二十八年十二月に至る間前後十二回にわたり殆ど原告の演出または指導によつて公演を行い、その間昭和二十八年七月二日自立演劇コンクールにおいて集団演技賞を受けた。

(ハ) その他映画会の企画(前後六回)文化祭の指導、映画サークルの結成、読書会など各種の文化活動を活溌に行つた。

(2) 職場組合員の苦情処理

原告の職場は前述のように飯場的封建的なものであつたから、職場の組合員は種々の苦情を抱いていた。例えば、高所作業手当要求、給与調整の適正化、降雨手当要求、夏期屋上作業手当要求、労働強化反対及び身上調査拒否などであつたが、ひとたびこれら要求を組合で要求することとなると、原告は常にこれら要求貫徹のため組合活動の先頭に立つた。これら活動のうちで特に顕著で米人監督を悩ませたものは、次のとおりである。

(イ) 毎日作業開始時間前ショップ前に集る労務者に対し原告は組合報告を行い、その際種々の組合活動の情勢を報告すると共に、職場組合員の要求、苦情を聞きその解決方法を原告の主宰で討議したのであるが、この集会は原告の属する建築班の組合員が活溌な職場要求をなす源泉であつた。

(ロ) 米軍側で第三国人身上調査と称し、各労務者の前歴及び交友関係を調査したことがあつたが、原告の属する建築班では組合の決定に基き、原告の指導でかかる調査は憲法違反であるから中止するよう交渉し成功した。

(ハ) 昭和二十八年夏原告らは夏期屋上作業手当を要求したが、その際屋上作業が如何に困難かを訴えるため米人作業監督官に要請して暑中監督官自らアスフアルト屋根にのぼつてその気温を計測せしめ、この要求を貫徹した。

(3) メイドなど軍直傭労務者の組織と指導

メイドは原告ら間接雇傭(L、S、O)労務者と異り直接軍に雇傭され、労働条件も各使用者たる米人個人によつてそれぞれ異りその団結も困難であつたため、当時メイドで組合に加入している者は全国何処にも皆無という状況であつた、しかしグランドハイツでは原告の育成した前述希望座に多数のメイドが参加したのを契機として軍直傭労務者が多数組合に加入した。かくの如く原告の活動はこれら軍直傭労務者の組合組織の契機となつたのであるが、それのみならず、原告は軍直傭労務者の苦情を採り上げてその解決に努力し、昭和二十七年末頃からは軍直傭労務者の多数居住する基地内労務者寮に移住し、本件解雇により退寮せしめられる迄引続いて同所に居住しながら、それまで軍の定めた寮規程により管理されていた寮を寮生の自治的運営に切り替えるよう努力した結果、原告の指導により寮生の寮運営委員会が生れ、軍の寮管理機関と寮運営に関する協議会をもつに至つた。この協議会には軍司令官も出席したが、右の如き軍直傭労務者の問題、寮の問題は軍に直接関係する問題であるので軍は原告のかかる組合活動をとかく嫌悪した。

(4) 第一次人員整理反対闘争の指導

原告を含む人員整理に先立ち昭和二十七年九月十日いわゆる第一次人員整理として(原告を含む人員整理を第二次人員整理と呼ぶ)米軍は予算削減を理由とし整理基準を示さずしてグランドハイツの労務者九十七名の解雇を予告した。この人員整理に際し支部組合はこれに反対して駐留軍労務者として最初のストライキ決行をも辞さない闘争方針を決定し、日本人フォアマンの被整理予定者名簿作成拒否解雇通知書に対する署名拒否などの闘争手段を用い、結局ストライキこそ決行されるに至らなかつたが、同年十月十日と予告されていた解雇期日は約一ケ月延期されて十一月五日となり、その結果失業保険の給付を受けられない筈であつた被解雇者が失業保険法による保険給付の適用範囲に入るなどの成果があつた。後に至つて全駐労のストライキは年中行事の観を呈したが当時は未だ占領時代の惰性でおよそ駐留軍労務者のストライキは常識では考えられず、支部組合は勿論全駐労の各支部でもストライキを経験したところはなかつた時代なので、この闘争が米軍関係者に与えた衡撃は異常なものであり、従来軍の一方的方針によりすべてが処理されてきた実情を打破した点において大きな意義のあつた闘争でその影響は全国的に波及した。全駐労においてもこの闘争以来人員整理について慎重に討論を重ね駐留軍労務者の特殊性を認めた立場で間接雇傭労務者の減員に関して調達庁に正式に申入をなし、また予算上からの人員整理反対の態度を明確に示した。米軍当局は右第一次人員整理に際しての組合側の意外に強い抵抗に対してその対策に腐心しグランドハイツにおいて従来行われていた組合と労務士官との月例定期会見も中止となり組合からの交渉申入も口頭によるものは認めず、すべて文書で行うことになりあまつさえその回答は現地労務士官の一存によらず軍上部機関に連絡、指示を受けた上で答えるなど軍の支部組合に対する態度は大きく変化した。これは軍が慎重になつたともいえるが、従来からの組合否定の態度が更に強くなつたともいえるのである。

このように大きな意義のあつた闘争を原告は支部組合副執行委員長兼文化部長として指導した。この闘争の直後に行われた第二次人員整理に際して原告、支部組合執行委員長岡野谷猛及び副執行委員長小池京二郎がいずれも解雇されたことは右第一次整理反対闘争の報復に外ならない。

(三)  米軍の原告に対する差別待遇意思を推測させる事実

原告の組合活動は右(二)に述べたとおりであるが、米軍側が原告の右組合活動を嫌悪し、他の労務者と差別的に待遇する意思を有しひいては本件解雇を決定するに至つたということは次の事実からも推測できる。

(1) 建築班を監督する歴代の米人軍属オリバー氏リギンス氏及びワース氏などは原告が職場の要求を採り上げて活溌な組合活動を行い、また、文化部長として青年婦人労務者に対し広汎な影響力を持つていることに特別の関心を抱いていた。特にワース氏は一日数回原告の作業を視察するなど原告の作業に対して特別の監視をなし、原告が他の労務者と作業上の連絡をしているとあたかも作業時間中に組合活動をなしているだろうとの口吻で時間中の談話をたしなめ、その他原告に対しては殊更に作業上の常識に反する指示を与えて原告を当惑させるなど、原告に対する監視と嫌がらせを怠らなかつた。

(2) 建築班では労務者は毎朝午前八時にショップ前に集合し、一齊に各人の作業現場に赴くことに定められていたので、原告は午前八時前ショップ前に参集している職場組合員に毎日組合報告をなすこととしていたこと前記のとおりであるが、第一次人員整理後、これが組合強化の基礎となつていることを知つたワース氏は、原告の右活動を封ずる目的で、労務者は各自午前八時までに直接各人の作業現場に集合することに定め、これを命令した。

(3) 原告の解雇せられた第二次整理直前日本人フォアマン榎本要造は、建築班の若い労務者らに対して活溌な組合活動を詰り、その際次の人員整理では原告を解雇させてみると放言した。

以上綜合すれば、ワース氏は原告の活溌な組合活動を夙に嫌悪していたが、偶々人員整理が行われたのを奇貨とし、原告は整理基準に該当しないのに拘らず本件解雇の挙にでたもので、原告の組合活動が本件解雇の決定的要素をなしていたこと明らかである。而して、ワース氏がかかる選定を行つたのはグランドハイツ労務士官C、Lハワード少佐(C. L. Howard)の指示に基くもので、ハワード少佐は第一次人員整理反対闘争における支部組合三役の活溌な組合活動の結果、組合三役は整理基準に該当しなくとも被整理者中に加えて解雇すべしと指示したものである。

第三、被告の答弁

一、主文同旨の判決を求める。

二、請求原因第一項のうち、原告に対する解雇の意思表示が原告の組合活動を理由とするもので不当労働行為であつたとの点は否認し、その余の事実は認める。

同第二項に主張する事実誤認は否認する。この点に関する被告の主張は別紙命令書写理由の認定事実のとおりである。なお、同項(二)、(三)に主張する事実のうち、原告が昭和二十四年十一月から国に雇傭され、グランドハイツ営繕部建築班に木工として勤務し間もなく支部組合に加入し、昭和二十五年十一月から解雇当時まで引き続き原告主張の役職にあり、第一次人員整理反対闘争を指導したことは認めるが、その余の事実は不知。

第四、証拠〈省略〉

理由

一、原告は駐留軍に対し労務を提供するために国に雇傭されていた駐留軍労務者であつたところ、昭和二十八年一月七日解雇の意思表示を受けたこと、原告は右解雇は不当労働行為であるとして東京都知事を相手方とし東京都地方労働委員会に救済を申立て同委員会は昭和二十八年都委不第十一号事件として審査の結果、昭和二十九年五月二十日「被申立人は申立人田村英郎を昭和二十八年一月七日当時の原職またはこれと同等の職に復帰させると共に同月八日以降原職に復帰するまでの間に同人の受くべかりし諸給与相当額を支払わなければならない。」との救済命令を発したこと。相手方は右命令を不服とし被告委員会に再審査を申立てたところ、被告委員会はこれを中労委昭和二十九年不再第十六号不当労働行為再審査申立事件として再審査し、その結果昭和二十九年十二月十七日「初審命令中田村英郎に関する部分を取消し、その救済申立を棄却する。」との命令を発し、この命令書写は当時原告に送達されたこと。

以上の事実は当事者間に争がない。

二、原告の右解雇は人員整理に際したものであるが、その経過は次のとおりであつた。

昭和二十七年九月十日米軍は予算削減を理由として原告の勤務するグランドハイツの労務者九十七名の人員整理を予告したが、支部組合はこれに反対し、ストライキ実施の決定、日本人フォアマンからの被整理者名簿提出の拒否、解雇通知書に対する署名拒否などを行い、その結果解雇期日は予告された十月十日から約一カ月延期され十一月五日となつた。(これを第一次人員整理と呼ぶ。)ついで、同年十一月半頃、軍側は第二次人員整理として百十二名を解雇する方針を発表したが、支部組合はこれに反対して東京都知事側と団体交渉を行つていたところ、十二月一日に至り軍側労務士官C、L、ハワード少佐は翌二十八年一月一日をもつて解雇すべき百十二名の労務者の氏名を発表し、解雇予告をなした。支部組合は反対闘争を続け十二月二十七日にはストライキも決行されるに至つたが、結局解雇期日が一月七日に延期された外は予告された百十二名が予定どおり整理解雇され、この被解雇者中に原告が含まれていた。

以上の事実も当事者間に争がない。

三、原告は原告に対する本件解雇は人員整理に籍口しているが、原告は整理基準に該当するところなく、原告の活溌な組合活動の事実及び軍側が原告の組合活動を嫌悪していたと推認せしめる事実からすれば、本件解雇は原告の組合活動を理由とする不当労働行為に他ならないと主張する。

(一)  まず原告が整理基準に該当するか否かを検討する。

(1)  第二次人員整理の整理基準について。

支部組合と労管との間で行われた昭和二十七年十一月二十八日の労働協議会において労管側から第二次人員整理の整理基準として勤務成績不良の者、作業能率の低い者、新しい入職者の三項目が明らかにされたことは当事者間に争ない。原告は右は労管が支部組合に説明した整理基準に過ぎず、現地では軍の各職場監督が別個の基準を設定して被解雇者を選定したと主張するが、成立に争のない乙第四号証の一(甲第六号証の一)及び乙第七号証の二(甲第九号証の二)によれば、労管からの問合せに対する軍当局者の回答が右三項目であつたことが認められ、且つ成立に争のない乙第一号証の四十三(甲第三号証の二十四)によれば、現地、即ちグランドハイツにおいても右労管の説明のとおり勤務成績、勤続年数、能率の三項目の整理基準によつて被解雇者を選定した事実が認められ、原告主張の如き事実は認められない。もつとも、証人岡野谷猛は原告の職場では技術のみを基準として被解雇者を選定した旨を米人軍属ワース氏(原告の職場の監督者)が、永田支配人に告げた事実を供述しているが、右証言は永田支配人の供述を録した前顕乙第一号証の四十三(甲第三号証の二十四)の記載に照らし措信できないしまた、原告本人尋問の結果中通訳木村時雄氏及びフォアマン(作業班長)を通じて聞知したところによると原告の属するカーペンターショップ(建築班)の整理基準は技術不良の者というのみであつたと供述するところ、及び右供述と同旨と認められる成立に争ない乙第八号証の三(甲第十号の三)の記載も、当時原告のフォアマン(作業班長)であつた証人成瀬草勢次の証言中第二次人員整理の整理基準については知らないとの供述部分に照らし措信し難い。

なお、原告はカーペンターショップ(建築班)中の屋根専門工の班(屋根班)以外の班の木工のうち原告より勤続年数の短い者で残留者のある事実、及びそれらの班では必ずしも勤続年数の短い者からのみ整理されていない事実を主張し、これらの事実からすれば勤続年数が整理基準であつたとは認められないと主張するが、さきに認定したところは勤続年数が唯一の基準であつたとするものではないし、且つ、一般に整理基準として複数の事項が設定されたときはこれに該当する者がすべて解雇されるというのではなくて、整理基準該当者が整理予定人員を超える場合は整理から除外される者があり得るわけであるから、勤続年数の短い者が残留しているという事実のみからでは、これが整理基準でなかつたと認定することはできず、右原告主張の事実からさきの認定を左右し得ない。

(2)  原告の整理基準該当事実の有無

成立に争いない乙第六号証の一(甲第八号証の一)により真正な成立が認められるところの乙第五号証の二により真正な成立を認めることができる乙第五号証の三及び五によれば、軍側が原告の解雇理由として主張するところは、能率能力が劣ること、非協調的であること、勤務年数の短いこと、及び木工ではあるが、屋根専門工であるので他の一般的木工に配転して就労せしめる資格がなかつたことであることが認められる。原告は成立に争のない乙第二号証の九(甲第四号証の九)を引用し、原告の解雇理由は熟練度最低ということだけであつたと主張するが、前顕乙第五号証の三及び五が現地グランドハイツの労務士官ハワード少佐及び同じく現地において原告を直接監督していた米人軍属ワース氏により作成せられた文書であるのに対し、右乙第二号証の九(甲第四号証の九)は現地からの報告に基きキャンプ東京労務連絡事務所の労務士官が作成した文書に過ぎないことからすれば、原告の解雇理由を認定するには前者を以つてするのが相当である。

よつて、右解雇理由につき検討すると、原告が同じ屋根専門工八名中能率能力において他と比較して特に劣るところのなかつたことは当事者間に争なく、また、原告が非協調的であるとの点は原告の能率についての評価の一つと解せられるが、これに関する具体的事実を認むべき証拠がない。しかしながら、原告が同時に解雇せられた他の一名の屋根専門工と共に他の残留する屋根専門工に比較し勤続年数の短いことは当事者間に争いない事実であり、この点において原告は整理基準に該当する。

(二)  原告は他の残留者との勤続年数の差は僅か六ケ月に過ぎないから、これを以つて解雇の絶対的理由となすのは不当であると主張するが、人員整理に際しては整理基準に該当する以上、整理の対象とされても一応止むを得ないと言わねばならない。もつとも、もし、他に整理基準に該当する者がありながら、これらの者は解雇されず、差別的に原告のみが、解雇せられたとするならば、原告に対する差別的取扱として不当労働行為を推認するに足る一つの事実たり得るので、原告の主張に基き更にこの点を検討する。

(1)  まず原告は屋根専門工にあらざる木工のうちに原告より勤続年数が短いのに拘らず整理の対象とならなかつた者がある事実を主張しているが、前顕乙第五号証の三によれば、屋根専門工は他の木工と同様の作業をなす能力に欠けるところがあつて、屋根専門工の被解雇者は他の木工と別個に選定せねばならない事情にあつたことが認められ、原告が主張する如くカーペンターショップ(建築班)全体の木工を一体として被解雇者を選定したとの事実については証拠がないから、仮に他の木工の残留者中に原告より勤続年数の短い者があつても、これを以つて原告の解雇を差別的取扱と解することはできない。

(2)  次に、原告はカーペンターショップ(建築班)中の屋根班以外の各班を各班別に考察しても屋根班以外の班にあつては必ずしも勤続年数の短い者が整理の対象となつていないのに、屋根班においてのみ原告が勤続年数の最低を以つて解雇せられるの不当性を主張する。

しかしながら、軍側の設定した整理基準は勤続年数のみではないことさきに認定のとおりである。それ故例えば、右各班において他にその余の整理基準に該当する者があり整理基準該当者数が整理予定人員を超えた場合を想定すれば、それら該当者を比較考量して予定人員だけの被解雇者を選定するために、勤続年数の点では基準に該当しないけれども他の基準に該当する理由で解雇され、勤続年数の短い者が残留する結果を生じ得るのでかかる班については一見勤続年数の基準では解雇しなかつたような外観を呈することがあるわけである。右原告主張事実はかかる場合に過ぎないとも解する余地があるから、仮に主張の如き事実ありとするも、それのみでは勤続年数の点で解雇せられた原告の解雇を直ちに差別的取扱と断ずることはできない。

(3)  さらに、原告は屋根専門工中に技能その他の点において原告より劣る者があつた事実を主張し、原告が整理の対象となつたことの不当性を主張する。そこで、第二次人員整理当時雇傭されていた屋根専門工中の整理基準該当者について検討すると、証人、成瀬草勢次の証言、原告本人尋問の結果、右原告本人尋問の結果により真正な成立を認めることができる甲第十一号証の一を綜合すれば、原告と同時に解雇せられた田中多満吉が原告同様勤続年数が最低であるけれども、整理されなかつた横山釘蔵及び白鳥喜蔵は技能及び作業能力において屋根班のその他の者より低位にあつたことが認められ、また、成立に争ない乙第八号証の二(甲第十号証の三)及び乙第五号証の二十(甲第七号証の七)によれば白鳥は昭和二十七年中に二ケ月ないし八十余日欠勤している事実を認めることができるから、田中は勤続年数において白鳥は作業能率及び勤務成績において、横山は作業能率において、いずれも整理基準に該当していたと認めるのが相当であつて、この認定に反する証拠はない。ところで、人員整理のため余剰員を解雇する場合には整理基準に別段の定め、その他特段の事情のない限り企業に対する寄与性の観点に基きその効率の少いものから整理の対象を選択するのが合理的であるというべきであるので、この点から見れば、機械的基準である勤務年数よりは作業能率又は勤務成績の方が重視さるべきであるということができても右は抽象的一般論たるに止まり具体的の適用においてこれがそのまま妥当するとは限らない。即ち、基準に該当すると否とは結局は程度の差に外ならないのであるから、基準別の該当者について具体的に企業に対する寄与性を比較することは甚だ困難であるといわざるを得ず、従つて基準該当者である勤続年数の短い者と作業能率の劣る者との比較において特に著しく作業能率の劣る者を勤続年数の短い者より有利に取扱つたという場合の外は両者の取扱に差等を設けなくても不当といえないばかりでなく基準該当の何れか一方のみによつて冗員を選出しても一概に不当とはいえない。

而して本件において横山、白鳥が技能及び作業能力において特に著しく原告より劣ることを認むべき証拠はないから勤続年数の基準に基いてなされた本件原告の解雇を差別的取扱と認めることは困難である。

なお、証人成瀬草勢次の証言によれば、原告ら屋根専門工のフォアマン(作業班長)であつた成瀬は第二次人員整理に際し、屋根専門工八名中における原告の成績順位を第五位と判断し、整理の対象となるべき労務者として原告以外の二名を予定していた事実が認められるが、同じく同人の証言によれば、同人は第二次人員整理の整理基準が前記三項目であることにつき何ら聞知しておらず、同人の判断していた成績順位は勤続年数を考慮に入れず、主として技術と勤務成績によつて判断した順位(但し同順位のときは勤続年数を考慮する)であつたことが認められるから、同人の予定していた整理の対象は整理基準三項目に基いて軍側が決定した整理基準該当者と必ずしも一致しないのは当然である。従つて、フォアマン(作業班長)成瀬が整理の対象として予定していなかつた事実によつて、原告は本来整理の対象たるべきでないのに拘らず、差別的取扱を受けたと認めることはできない。

以上の次第で原告主張の事実はいずれも原告が被解雇者に選定されるについて格別差別的取扱がなされたことを推認するに足りない。

四、原告が昭和二十五年十一月から解雇当時まで支部組合執行委員兼文化部長であり、昭和二十七年十月以降は支部組合副執行委員長を兼ねていた事実及び前記第一次人員整理反対闘争を副執行委員長として指導した事は当事者間に争なく、証人岡野谷猛の証言、及び原告本人尋問の結果によれば、原告は支部組合と軍側労務官との定期会見及び交渉に際しては常に出席し、当時の支部組合委員長岡野谷らと共に常に最前列にあつて交渉に当り、また交渉議事録の作成に当つていたこと、交渉に際しては支部組合側出席者の役職氏名を軍側に紹介する慣例となつていたこと、右活動のほか、原告は文化部長として雑誌その他を通じてグランドハイツ内の軍直傭労務者らの組織加入を指導し職場にあつては屋根専門工の作業に関して雨降り手当、夏期手当、汚物手当などの諸手当を要求して交渉をなしていたことなどを認めることができ、原告が活溌な組合活動家であつて且つ軍側もそれを認識していたことを確認するに難くなく、また前掲証拠によれば、建築班の米軍側監督者であるワースは原告が作業場にいるかどうか電話で尋ねたり、現場を巡廻したりして原告の作業状況を監視したこと及び、フォアマン榎本が原告に対してワースが原告を組合活動の故に嫌つているから何時でも首にしてやることができる旨放言したことが認められる。

然しながら、ワースが原告を組合活動の故に嫌忌してその平素の作業状況を特に厳重に監視したり嫌がらせをしたとの点及び本件解雇につき榎本とワースとの間に不利益取扱に関する通牒の点を認むべき証拠がないので本件解雇理由として前段に認定したところに鑑み右認定の諸事実から直ちに本件解雇をワースの不当労働行為によるものと断定することは困難というべきであり、寧ろ原告が整理基準に該当し、且つ原告を整理の対象に選択するについて差別的取扱がなされたことを認め得ないことはさきに認定したとおりであつて、右組合活動の故に原告を基準該当に当て嵌めるために特に勤続年数を基準として取り上げたとの事実を認むべき証拠がないので、本件解雇の決定的理由は右基準該当による冗員の排除と認めるのが相当である。従つて原告の解雇を不当労働行為と認定するに由ない。

五、以上判断したように、原告の本件解雇は不当労働行為とは認められないから、被告委員会が前記のとおりの命令を発したのは相当であつて、右命令の取消を求める原告の本訴請求は失当である。よつて、原告の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 西川美数 岩村弘雄 三好達)

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